創成期(第1回コーラス大会1961~文教住宅都市西宮の歌1964)

■1961年3月12日、西宮市教育委員会の主催により、第1回西宮市民コーラス大会(於今津小学校講堂)が開催されました。西宮虹の会コーラス、西宮市職員合唱団、西宮混声合唱団など9団体が参加しました。

■1961年10月、西宮市は青少年の文化活動振興を目的に西宮少年合唱団を、阪神間で初めての少年少女合唱団として創立しました。その翌年1962年の第2回西宮市民コーラス大会(於津門小学校講堂)では西宮少年合唱団を含む12団体が出演する大会となり、以降回を重ねるごとに新たに創設されたコーラス団体にも参加いただきながら毎年開催する成果発表会となりました。

■1963年11月3日、西宮市は「文教住宅都市」を宣言し、工場誘致による振興よりも、風光を維持、環境を保全し、文教を振興していくという選択をしました。西宮市はこれを記念し、その制定理念普及のために市内在住の詩人で神戸女学院大学名誉教授であった喜志邦三氏(他に西宮北口駅界隈をモデルにした「春の歌」などの作品がある)に作詞を、浜脇小学校音楽教諭の鎌田廉平氏に作曲を依頼して、「文教住宅都市西宮の歌」を制定しました。

■1964年6月に開催された第4回西宮市民コーラス大会(夙川公民館松下ホール)で、この「文教住宅都市西宮の歌」を歌おうと、参加した13団体の合同演奏が企画されました。この時、合同演奏の連絡や協議のために招集された会議体が『西宮市コーラス団体連絡協議会』の前身となりました。そして、開催された大会の最終ステージで、参加者全員による「文教住宅都市西宮の歌」の合同演奏が、作曲者の鎌田廉平氏の指揮、中西覚氏の伴奏により、新しい松下ホール(松下幸之助氏が、1963年に片鉾池の上にコンサートホールを造り西宮市に寄贈)に響き渡りました。

■この年以降、西宮市民コーラス大会では、合同演奏がプログラムされるようになり、出演団体の指揮者が持ち回りでステージの指導を受け持つようになりました。これを機に西宮市民コーラス大会の参加団同士の交流が徐々に広がっていきました。

 

設立期(市民会館落成1967~協議会設立1972)

■1967年4月、西宮市民会館が勤労会館とともに竣工し、7月に開催された第7回西宮市民コーラス大会は、落成間もない西宮市民会館ホールにて開催され、出演団体も19団体になりました。この年以降、コーラス大会は毎年このホールで開催されています。

■1970年3月~9月に大阪千里丘陵で開催された日本国際博覧会より、西宮市に市内で活躍するコーラス団体に野外広場で開催される催事への出演依頼がありました。要請を受けた協議会では西宮市民コーラス大会に出演する各合唱団から有志を募る事とし、万博に参加するための『西宮市合同混声合唱団』が創設され、柳歳一氏に指導いただくことになりました。

■有志により編成された合同合唱団は練習を開始、1970年6月に開催された第10回を記念する西宮市民コーラス大会に参加し、華々しく『西宮市合同混声合唱団』の結成が紹介され、そこで8月に大阪万博野外広場でプログラムされている4名のソリストを伴うミサ曲を披露しました(その後、この合唱団のメンバーは活動を継続し、現在も西宮中央合唱団として活躍しています)。

■その間もコーラス大会出演団体は協議会として、西宮市民コーラス大会の運営を支援・協力する形で活動を続けていましたが、1972年3月、西宮市より西宮市民コーラス大会の運営委託を受ける形で「西宮市コーラス団体連絡協議会」を正式に設立し、第12回西宮市民コーラス大会からは西宮市教育委員会とともに主催者として運営に参画していくことになりました。この年が西宮市コーラス団体連絡協議会(のちの西宮市合唱連盟)の正式設立となりました。

■同じ時期に「西宮市吹奏楽連盟」も設立されています。

 

成長期(合唱連盟に改称1977~震災復興コーラス大会1995)

■1977年には協議会の名称を「西宮市合唱連盟」に改称し、第17回西宮市民コーラス大会からは新しい呼称でのスタートとなりました。

■1964年から続いていたコーラス大会での「合同演奏」や「みんなで歌おう」のコーナーは、参加団体の増加によりプログラムすることが難しくなり1984年の第24回西宮市民コーラス大会を最後に姿を消しました。逆に参加団体は1977年第17回コーラス大会当時15団体だったものが、1994年の第34回コーラス大会では倍以上の31団体の出演となりました。

■市内の音楽芸術活動の振興に伴い、1988年には「なるお文化ホール」が西宮東高校ホールとして開館、1994年には「フレンテホール」、1996年には「甲東ホール」が開館し、連盟傘下各団にとって、西宮市内での発表の場が広がりました。

■1995年1月17日、「阪神淡路大震災」が西宮市を襲いました。震災後は練習会場となっている公民館などは避難所となり、多くの建物が被災する中、西宮市民会館アミティホールも甚大な被害を受けました。予定していたコーラス大会は延期、連盟の加盟団体も団員もライフラインが寸断され練習どころではなくなりました。

■春以降ライフラインが復旧し始めると全国からの支援は、生活物資だけではなく、音楽による精神的な復興にも向けられるようになりました。そして、それは瞬く間にカタチとして現れ、震災からわずか7ヵ月の同年8月20日に、被害の少なかった鳴尾浜の県立総合体育館で、西宮市合唱連盟、市内アマチュア交響楽団のメンバーらによって「第九シンフォニーを歌うつどい」を開催することになりました。当日、全国から集まった1,000人の合唱団・奏者が演奏した第九「合唱付き」は、2,000人以上の来場者に深い感動と希望をもたらしました。

■この演奏会を機に、私たちは「歌ってもいいんだ」と思えるようになり、歌が人々の心に寄り添い、共に歌うことで仲間と心を通わせ前向きになれることに改めて気づいた瞬間でもありました。そして、ようやく生活が落ち着き始めた秋ごろから練習を再開する合唱団が増えていきました。

■これを受け、西宮市合唱連盟では、被害が比較的少なかったなるお文化ホールに会場を移し、震災で延期していた第35回西宮市民コーラス大会を1996年2月(1995年度内)に「震災復興コーラス大会」として開催し、22団体の参加を見ました。前年度の第34回大会からは9団体減った大会ではありましたが、改めて歌うことの喜びを噛みしめた大会でもありました。そして、1961年からの同大会の連続開催の記録を次の世代へ繋いでいくことができました。 

 

成熟期(第36回市民コーラス大会1996~令和元年2019)

■1996年2月に数カ月遅れの第35回西宮市民コーラス大会を「震災復興」と冠して開催した3カ月後の同年5月に、震災からの復旧工事を終えたアミティホールで、通常通り第36回市民コーラス大会を実施する運びとなりました。参加団体はさらに27団体へと増加し、復興の足音が力強く響いてまいりました。

■そんな中、全国から様々な支援が集まり、市内の音楽団体や演奏家たちから、心の復興を祈念する演奏会を実施しようと、話が持ち上がり、年末の「第九シンフォニーのつどい」を再開する運びとなりました。西宮市合唱連盟も共催者として、出演する合唱団の募集や練習のお世話をさせていただき、1996年12月15日にはアミティホールで高らかに「歓喜の歌」を披露することができました。

■1998年、西宮市合唱連盟は永年の芸術・文化活動への功績に対し西宮市より、「第37回西宮市民文化賞」を受賞させていただきました。

■その間も復興の槌音は高く、西宮市では2000年に新しい中央公民館とプレラホールが開館、2005年にはその向かいに復興のシンボルとして兵庫県立芸術文化センターがオープンし、文化芸術の香り高いまち西宮の新たな幕開けとなりました。

■阪神淡路大震災から10周年にあたる2005年、ふたたび西宮で「第九シンフォニーのつどい」を開催することとなり、「市民参加の第九を歌う会」が主催し、合唱連盟や西宮交響楽団が共催する形で、阪神淡路大震災10周年祈念コンサートとして開催されました。

■その後、2007年11月25日は「第九inにしのみや」と名前を変え、震災の記憶を風化させない取り組みとして開催し、以降定期的に開催していくことになりました。以後2010年、(文教住宅都市宣言50周年記念事業の一環で)2013年、2016年、2019年と3年ごとに開催する催しとなり、合唱連盟も継続して共催という形で、合唱団の募集や練習などで運営協力して参りました。

■西宮市は2013年9月16日に県立芸術文化センターで文教住宅都市宣言50周年、平和非核都市宣言30周年、環境学習都市宣言10周年を記念し、「三宣言周年記念コンサート&まちづくり夢トーク」を開催し、その場で永年にわたり発展を支え、西宮市のまちづくりに顕著な貢献のあった団体のひとつとして、西宮少年合唱団、西宮市吹奏楽連盟とともに、西宮市合唱連盟は河野市長より感謝状が贈呈されました。

 

コロナ禍(感染拡大2020~五類感染症移行2023)

■2019年末から猛威を振るい出した新型コロナウイルス感染拡大は合唱界を直撃しました。コロナウイルスは飛沫やエアロゾルで感染されるとされ、もともと三密(密閉・密集・密接)に近い環境で表現する合唱は、クラスター発生の一因として報道され、練習の継続が困難となりました。

■2020年3月には兵庫県に第1回目の緊急事態宣言が発出され、練習会場は閉鎖、それからも断続的に「緊急事態宣言」や「まん延防止等重点措置」の発出・解除が2021年10月まで続き、全面解除後も公民館などの練習会場での練習再開は定員の半分、マスク着用、ディスタンスをとる対応が必要となりました。

■コロナウィルス感染拡大により、2020年と2021年に開催を予定していた西宮市民コーラス大会は連続して中止となり、連続開催の記録は途切れることとなりました。また、2022年に予定していた3年に1度の「第九inにしのみや」も延期することになりました。

■コロナ禍で定期練習を休止した加盟各団に対し、西宮市合唱連盟は2020年7月、「合唱再開の手引き(第1版)」を配布しました。全日本合唱連盟等で発表されていた内容を西宮向けに見直し(各公民館などで制定されている各種規制を加味し)練習再開の後押しをしました。その後、演奏会開催のガイドラインなどの情報も共有し、コロナ禍の中での合唱練習の再開を応援して参りました。

■コロナ感染拡大が小康状態を保った2020年11月に、西宮市ではアミティホールに特製のパーテーションを設置して「西宮市民音楽祭」をWithコロナ時代の「音楽発表の場」として試行することになりました。マスクを着用しパーテーション越しではありますが、合唱の灯を継続することができた演奏会となりました。

■2022年5月、コロナ感染拡大も一段落し、3年ぶりに第60回西宮市民コーラス大会を再開することができました。参加できたのは27団体に留まり、38団体が参加したコロナ禍前の第59回大会から11団体が減少した大会となりました。運営方式も従来の3部形式から、接触・滞留が少ない方式に変更し、ステージ衣装への着替えのない大会でしたが、久々に歌う喜びを味わうことができました。一方、高齢化の波にコロナ禍が拍車をかけ、合唱活動を続けることができなくなった合唱団も複数、数えることになりました。

■毎年定期的に開催していた「合唱講習会」も影響を受けました。2020年2月に西宮市合唱連盟と西宮市民の有志により、西宮出身の著名な作曲家のなかにしあかね氏に指導いただき、同氏の「混声合唱組曲『今日もひとつ』を歌う合唱団」を構成し、講習会参加者により同年の第60回を記念する西宮市民コーラス大会で披露しようという企画(1984年に途切れたみんなで歌おうの復活ステージ)が進行中でしたが、それも中止となりました。YouTubeを利用した2回にわたるオンライン講習を挟み、コロナ禍が明けた2023年2月に、コーラス大会のステージではなく、なるお文化ホールの客席で、なかにしあかね氏の指揮、参加メンバーの合唱で同組曲全曲を高らかに歌い上げることができました。

■2023年11月4日、アミティ・ベイコムホールで実施された文教住宅都市宣言60周年、平和非核都市宣言40周年、環境学習都市宣言20周年の記念式典では、2025年4月1日に西宮市市制施行100周年にあたることが発表されました。合唱連盟結成のきっかけとなった「文教住宅都市宣言」から60年が経過したことに、その歴史の重みを改めて感じます。そして迎える市制100周年にあたる2025年には、その記念事業として、西宮市合唱連盟が共催する「第九inにしのみや」も開催される予定になっています。

 

新たな飛躍に向けて(2024~)

■さて、2024年の新しい年度に入り、西宮市合唱連盟も変化して参ります。西宮市民コーラス大会での合同演奏の復活や、ホームページの設置による、加盟団体の負荷の軽減、コーラスの広場などの発表機会の創出などに加え、加盟団体同士の親睦を深めるような事業も検討していきたいと考えます。

■西宮で活躍しているコーラス団体のみなさまも是非加盟をご検討いただき、何処からも歌声が聞こえるまち西宮を盛り上げていこうではありませんか。